水頭症ってなに? 4/5
水頭症ガイドブック 基本篇
8●水頭症治療の歴史
難しい話が続きましたので、ここらで息抜きを。ちょっとした歴史物語です。
「水頭症治療の歴史」、このトピックだけでも一冊の本になるくらいの豊富な話題があり、感動のエピソードに満ちています。まさに「人間の歴史」の素晴らしさ、「科学の進歩」の一つの証明だと思います。
その歴史の中から特に注目すべきイベント、発明をご紹介しましょう。
古代ギリシアの医聖、ヒポクラテスは頭のなかに水が貯まると頭が腫れることを知っていたようです。しかし、現在使われているような意味での水頭症に近い概念を持って、脳内の脳室に水が貯留することが明らかにされるのは16世紀になってからでした。
ルネッサンスの興隆とともに、この頃から18世紀にかけて水頭症に関係した解剖上の発見も相次ぎました。中脳水道、クモ膜顆粒、モンロー孔など、水頭症の原因を考える上で重要なものが解明され、水頭症の概念も現在に近いものが考えられるようになりました。
しかしながら、発熱、リューマチ、肺病などが水頭症の原因として考えられており、治療法も今からみれば用をなさないものばかりでした。血を抜いたり、利尿剤を投与したり、頭を冷やしたり、といった類のものです。頭が大きくならないように包帯のようなもので締めつけてしまうという治療もあり、結構人気があったようです。
髄液の正確な流通経路がやっと明らかにされたのは、19世紀の後半のことです。20世紀に入ると、アメリカの脳神経外科医ウォルター・エドワード・ダンディー(Walter Edward Dandy 1886-1946)によって、モンロー孔や中脳水道を閉塞して水頭症が生じることが犬を用いて示され、閉塞性水頭症と交通性水頭症の違いも明らかにされました。
水頭症に関する外科的治療の試みは古くから行われていたようです(それらの全てが必ずしも水頭症と結びついていたわけではなさそうですが)。
古代ギリシアでは脳室穿刺が行われていたとの記録があります。他にも、腰椎穿刺により髄液を抜いたりするなど、いろいろな試みがされたようですが、その多くは髄膜炎を生じたり、症状の悪化を招いたりと、結果はさんざんなものでした。それでも19世紀末から20世紀初めにかけて、様々なチューブを脳室と硬膜下腔に通したり、脳室から静脈にチューブをつなぐなどして、時に劇的な症状の改善を得られるようになってきます。時代はゆっくりと、しかし着実に、水頭症の治療に向かって進歩していたのです。
1922年、前述の医師ダンディーは開頭手術によって第3脳室底に穴をあけ、閉塞性水頭症を治療する方法を発表しました。手術成績は、1歳以上の場合、29名中24名の水頭症が治癒したとその後発表していますが、1歳以下での成績は悲惨なものでした。この第3脳室底に穴をあけ閉塞性水頭症を治療する方法は、その後シャント手術にとって変わられてしまいますが、最近になって、このアイデアがより確かな技術によって復活しました。前章でお話した「内視鏡的第3脳室底開窓術」がそれで、現在では閉塞性水頭症に対する主要な治療法になりつつあります。技術の進歩が80年近く昔の手術方法を甦えらせたわけです。
これに限らず、20世紀初めは、近代的脳神経外科の黎明期でした。当時は脳腫瘍とならんで水頭症の治療方法の確立が大きな課題だったのです。原始的な内視鏡を用いた治療の試みも行われています。髄液産生のもとである脈絡叢を凝固・切除してしまい、水頭症を治療しようとすることも行われました。ダンディーもこの方法を広めた脳神経外科医の一人です。
こうした、水頭症治療の様々な試みの末に残ったのがシャント手術でした。頭のなかに貯留したした髄液を皮下、胸部、腹部、あるいは尿路に流す手術が行われました。また、弁機能により血液の逆流を防ぎ髄液を静脈に流す方法も行われるようになりました。
ここで父性愛にあふれ、水頭症治療の歴史に名を残す一人の男が現われます。「ホルター・バルブ」の創始者であるジョン・ホルター(John Holter)です。
彼の息子は二分脊椎に伴う脊髄髄膜瘤をもって生まれてきました。1955年のことです。治療経過中に水頭症が進行してきましたが、当時使用されていたバルブは問題だらけのものでした。そこで、街の機械屋の技術者だったホルターは、自分の息子のために新素材だったシリコンを用いたバルブを自力で制作したのです。これが現在のシャントにも使われているシリコン性バルブの、世界で一番最初のものです。
彼のバルブは息子の最初のシャント手術には間に合いませんでしたが、他の患者に使用され大成功を収めました。彼の息子もその後シャント機能不全を生じた時にホルター・バルブを使用することになり、術後1年以上は順調でしたが、最終的にはシャント機能不全により亡くなってしまいました。
それでも、ホルターはバルブの改良、新作に邁進し、シリコン性バルブは広く世界で使われるようになりました。彼の名前のついたバルブは現在でも使用されています。息子の病気をきっかけに、医療とは全く無縁だった一人の父親が、息子の悲劇を乗り越えて、水頭症治療の新しいページを切り開く話には胸を打たれます。
シャント製品の改良の一方で、より良好で安全な髄液の吸収を求めて手術手技も変わってきました。1950年代からは暫くはシャント手術では静脈に髄液を流す脳室心房シャント術( VAシャント)が全盛でしたが、先にも述べた合併症などの問題により、1970年頃から髄液をお腹に流す脳室腹腔シャント術(VPシャント)が主流となり、現在に至っています。
いかがでしょう?
水頭症の治療一つとっても本当に人間的な話に満ちていますね。
それにしても、つい50年ほど前までは、水頭症によって多くの患者さんが、満足な治療法もないまま亡くなったり、大きな後遺症を残していただなんて……。近年の医療技術の進歩の速さ、素晴らしさに感無量、となるのは僕だけでしょうか。
(この項、Drake JM, Sainte-Rose C: The Shunt Book. Blackwell Science, Cambridge, 1995.を参考に書かせてもらいました。)
9●シャント手術の実際
ここでは代表的な脳室腹腔シャント術(VPシャント)を例にとって話します。
脳室腹腔シャント術を行うためには身体の最低2ヶ所に傷を作る必要があります。一つは髄液の貯留している脳室(通常は側脳室)に入れる管(脳室端、と呼びます)を入れ、シャントのバルブを留置するための頭部の傷です。もう一つは腹部に入れる管(腹腔端、と呼びます)を挿入するための腹部の傷です。
この両方の傷の間にどうやって管を通すのでしょうか? 初めて手術を受けられるお子さんの御両親や患者の家族の中には、頭からお腹まで皮膚を切り開かなくてはいけないのではないか、と思っておられる方もいらっしゃるようですが、心配はありません。まず、シャント・チューブを通すガイドとして、中空になっている特殊な金属の管を両方の傷の間に通せばいいのです。この金属の管の通るところは皮膚の下の脂肪層の中です。身体の小さい頃は皮膚が薄いのでシャント・チューブは目立ちますが、大きくなると皮膚の薄い首のところ以外は触らなければわからなくなります。
新生児や乳児では、頭蓋骨の骨どうしの隙間を用いて脳室に管を入れることもありますが、普通は頭蓋骨に1円玉くらいの大きさの穴を開ける必要があります。穴をあける場所は頭の前方に置く場合と、後方に置く場合とがあります。
次はお腹。腹部の傷はお臍の周辺に置かれることが一般的です。傷が目立たないようにお臍のしわを使って切る医師もいます。
さあ、頭を切って頭蓋骨に穴を開け、次にお腹を切り腹部を開け、両方の傷の間に管を通しました。今度は脳室にシャント・チューブの脳室端を挿入します。
さっき、頭に穴をあける場所は前と後ろと、2パターンある、と言いました。これは脳室端の挿入場所によって変わってきます。
脳室端の先端は脈絡叢のない側脳室の前方(前角、と呼ばれます)に入れるのが望ましいとされています。なぜなら、脈絡叢はふわふわした浮き草のような組織なので、シャント・チューブの脳室端に絡まると管を閉塞する恐れがあるからです。その点、前方から入れたほうが直接前角に挿入できるので有利です。
ただし、前方から入れると頭のカーブのため管をダイレクトに腹部まで通すことが難しいので、途中に中継点を作って管を入れ直す必要があります。しかし、手術後の感染のことを考えると、できるだけ傷の数を少なくしたほうがいいわけで、その点、頭の後方に穴をあけると中継点なしで腹部まで皮膚の下に管を通すことができます。しかし、後方の穴から前角まで脳室端を挿入するのは距離も長く、決して容易ではありません。
というわけで、どちらも一長一短、結局は手術する脳神経外科医の考え方と、その人が慣れた方法で、ということになります。最近では、後方から脳室端を挿入するときに内視鏡を用いて正確に脳室端先端を前角に入れることもできるようになってきました。シャントの詰まりや感染の発生については、どちらの方法でもあまりはっきりした差は出ていないようです。脳表、あるいは頭蓋骨から何センチメートルで前角に達するかは事前にCTを見て決めておきます。
次に、脳室端にシャントバルブをつなぎ、引き続き皮下に既に通してある腹腔端チューブの頭側端をシャントバルブにつなぎます。シャントバルブには、頭蓋骨の穴の直上に設置するタイプと、穴と離れた頭皮下に設置するタイプとがあります。腹側の傷から腹腔端チューブを引き出し、シャントバルブを各タイプによって適切な位置に設置します。
さて、最後は腹腔端を腹部に挿入します。実際に挿入する前に、髄液が脳室から脳室端、シャントバルブ、皮下の管を通って自然に流出して来るかどうかを確かめます。もし流れてこなければ、管が皮下で折れ曲がっていないか、接続がはずれていないかなど確かめる必要があります。
腹腔端はシャントが詰まるときの一番大きな原因です。ですから、ここから術者の腕の見せどころ、脳神経外科医の様々な創意工夫が凝らされます。腹腔端の先端を切って開放端にして髄液の流出をよくする、斜めに切って癒着しにくくする、腹腔端の先端から離して横穴をいくつかあけ、先端が詰まっても髄液が流出するようにする……外科医一人一人、いろいろ考えてやっているのです。
しかし、それでも詰まるのがシャントです。腹腔端をどのくらい長く入れるかも術者によって意見が分かれます。腹腔端が長いと、管の抵抗によって詰まり易くなるという考えがある一方で、管が長い方が腹腔内でいろいろ動くので癒着などによる閉鎖を予防できるとする考えもあります。一般に、小児を扱うことの多い脳神経外科医は成長により腹腔端が短くなるのを見越して、長めに入れることが多いように思います。
以上の様にして、脳室端、シャントバルブ、腹腔端を埋め込んだら傷を閉じて手術は終わります。後は、髄液がシャントを流れて、感染などのもろもろの術後合併症が起きないように祈るばかりです(苦しい時の神頼み、です)。
ここで述べたのはシャントシステム全体を入れる時の手術ですが、シャントが詰まったときなどは必要な部位のみ手術します。腹腔端の閉塞であれば腹部のみ、脳室端なら頭部のみ、というわけです。シャントの手術は慣れた外科医が行えば全体で30分から1時間ぐらいです。しかし、ムッチンプリンのような赤ちゃんのときには血管が見えないがために点滴を入れるのに1時間、2時間、手術はたったの15分、なんてことは珍しくなく、小児脳神経外科医、麻酔医泣かせの最たるもんです。
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